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株式会社 にっぱん

取締役 近藤 洋一

お客様も従業員も全員を感動させたい
その気持ちを胸に走り続けてきただけ

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近藤 洋一
– Yoichi Kondo –

1973年生まれ、宮崎県出身。漁師を営む両親のもとに育ち、高校卒業後に東京水産大学(現・東京海洋大学)へ進学するために上京。4年間の大学生活に加え、専攻科で1年間の過程で世界を船でまわり、新卒で株式会社 にっぱんに就職。2年間で6店舗の現場で経験を積み、本社の経営企画室へ。いくつかの部署を経て、43才で取締役に就任。

2019年3月掲載

野生児のようだった、少年時代 島で初の大学生になって東京進出

 入社して20年、43才という若さで、急成長を続ける株式会社 にっぱんの取締役に就任した近藤氏。自らを「何かやりたいことがあるとすごく努力するタイプ」と話す同氏の生い立ちを遡って聞いてみると……。

「私は宮崎県の小さな島出身で、父も母も漁師をしていたんです。島には当時100人くらいしか住んでいなかったので、みんなが知り合いのような世界。家計は苦しかったんですが、新鮮な魚は幼いときから食べていたし、5才で自ら家族分の魚をとって、小学校2年生では料理もしていました(笑)」

 さらに、小学校5年生では市の水泳大会で大会新記録を2つもつくり、中学に入ってからはバスケの県大会で準優勝、続いて、市の卓球大会でも準優勝……と運動能力がずば抜けていた近藤氏にはひとつの夢があった。

「小さいときからの夢は、プロ野球選手になること。野球はずっと続けていましたが、高校で甲子園に行けなかった。それでも諦めきれず、野球を続けるために大学受験を決意しました」

 母親の地元の東京にあこがれがあった近藤氏は、東京水産大学(現在は東京海洋大学)を選び、見事合格した。 「学費免除のためにも国立がよかったし、やっぱり海が好きだったんです。だから4年間の大学生活のあと、専攻科に進学して世界を船でまわって、マグロを釣ったりしていました。また学生時代には寿司屋でバイトをしていたので、漠然と楽しそうだな……と思ってはいましたが、さすがに寿司屋になるには長い修業期間が必要になるし、自分は職人気質ではないと思っていたとき、うちの会社を知ったんです」

 当時、株式会社 にっぱんは新卒を採用しはじめたばかりの成長途中の会社であり、さらに寿司の扱い方を効率良く教えてくれる……、これに大きな魅力を感じた近藤氏は、卒業後の道を1本に定めることになる。

「人間の生活に不可欠な衣食住に携わる仕事に就きたかったし、伸びしろのある会社で自分の実力を試したい、そんな気持ちがありました。もちろん、毎年ドラフトの時期になると、自分が選ばれたら……なんてドキドキしていましたけどね(笑)」

自分の大きな夢を叶えるために 成長途中の”にっぱん”に就職

「にっぱんに新卒で入社してすぐ、6ヶ月の研修期間がありました。その間に原価率や人件費など、経営について学んだり、加工センターでは魚を仕入れて、下ろす勉強をしたり、実際の店舗を手伝ったりなどしていましたね」

 この研修期間中に近藤氏は、思わぬところから自分がこの世界に向いているのではないかと気づくことになる。 「同期は7人いたんですが、そのうちの4人が包丁を握ったことがなかったんです。反対に僕は、小さいころから料理をしているし、なんなら両親のお弁当も作っていましたから、包丁の扱いはトップでした。また、寿司屋でバイトをしていた経験もあったので、魚の種類もまわりに比べて知っていた。だからこそ、センター長もいろいろと深く教えてくれていました」

 その後、本配属になってからいきなりひとつのお店の責任者になるなど、躍進的な進歩を見せる近藤氏だが、もちろんそんな彼でも壁にぶつかったこともあったと話は続く。

「ある店舗に配属になったとき、店長(職人の)にチラシをつくれと言われて、見本の写真のとおりに何回つくっても全然ダメだ……の一点張り。どうしていいのか分からずに悩んだ結果、過去にその店長がつくったチラシを見せてみたら、それもダメで(笑)。そのとき気づいたんです。これは、チラシがどうこうではなく、私自身のことを見ているんだ。そこから進んで店長のサポートをするようになったら、チラシもすぐにOKがでて。それからは職人さんとの人間関係を構築することがうまくなりました」

 いろいろなことに挑戦したかった近藤氏は、上司にやる気をアピールして、それから2年間で約6店舗を経験することになる。そして、彼は自分が早く出世しなくては……と思う出来事を目の当たりにする。

「うちのお店には赤・白・緑の3種類のダスターがあるんですが、いくつかの店舗ではマネージャーによって使い分けが違ったんです。そうすると、マネージャーによって使い分けを変えなくてはいけなくなる……これって、すごく現場が困りますよね。ある程度のルールは上が決めなくてはいけないと感じ、テレビドラマの『踊る大捜査線』でいう室井指揮官の立場になってがんばろうと心を決めました。とはいえ、入社したときからいつかは幹部になりたいという夢は持っていましたけど(笑)」

 それから約20年間で、近藤氏は自分の夢を叶えることとなった。

吉岡 裕太郎さん

自分の夢を叶えたあとの思い
願うことはお客様と社員の幸せ

「外食業界の幹部に必要なことは、現場を知ることだと思います。私自身、寿司を握り、接客をして、本社では経営企画室に入り中枢となるシステムをつくり、財務もこなしました。現場を知っているからこそ、現場で働く従業員の気持ちが分かるし、彼らを喜ばせて感動させてあげたいんです。お客様目線はもちろん大事ですが、それと同じくらいに社員目線も大事にしなくてはいけないと私は考えています」

 常に、誰かを感動させたい、喜ばせたい。そう考える近藤氏が取締役になって2年の月日が流れた。今後の展望について聞くと……。

「従業員が長く働けて、ずっと幸せでいられる環境をつくりたい。そのためには、外食産業のトップクラスの給与水準に近づける努力をしなければならないと思っています。飲食業界は拘束時間が長いので、普通のサラリーマンの方と同じくらいの働く時間で生産性をあげる取り組みをはじめています。そのひとつが、昨年10月にオープンしたアカデミーです。店舗で技術を学ぶと時間もかかるし、大変なことも多いので、うまくスムーズに教えられる場所が必要なのでは、と幹部と相談して立ち上げることにしました。また、これからは飲食だけじゃない仕事も選択できる会社にするために、海外事業のプロデュースも積極的に行っています」

 自分のためではなく、働く人のため。近藤氏の基準はすべてそこにある。だからこそ働く人の可能性を広げることに力を入れたい、そう考えるのが彼にとっては当たり前なのだ。では個人的な夢は……と最後に聞くと。

「本を出したいです。人を感動させる本をいつかだせたら…なんて考えています(笑)。でもその前に魚がし日本一の立喰い業態は今年で30周年を迎えます。記念日協会に登録されているので、いろいろな企画を考えています。まずはそれを楽しみにしていてください」

お客様だけでなく、従業員に愛される会社。それを心の底から求める近藤氏の惜しみない努力はきっとこれからも続いていくのであろう。

370shop.jpg立喰い寿司 魚がし日本一 ムスブ田町店(取材店舗)

株式会社 にっぱん
─ 店舗情報 ─

立喰い寿司 魚がし日本一 ムスブ田町店

住 所:東京都港区芝浦3-1-21 msb Tamachi
田町ステーションタワーS 1F

電 話:03-6809-6428

本格江戸前寿司 魚がし日本一
大手町グランキューブ店

住 所:東京都千代田区大手町1-9-2

電 話:03-6262-2728

青ゆず寅

住 所:東京都千代田区丸ノ内2-4-1
丸ノ内ビルディング6F

電 話:03-3240-5790

他店含め、現在47店舗展開中

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文:安藤 陽子 写真:ボクダ 茂

2019年03月22日 掲載

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