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株式会社 ジャパンフードシステムズ

代表取締役社長 松永 藤吾

味に惚れて、お客様が再来店すること
それこそが、飲食の世界の根幹。

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松永 藤吾
– Tohgo Matsunaga –

1973年生まれ、東京都出身。レストランを営む両親のもとに育ち、高校卒業後は英語の専門学校に1年間通い、19才でイタリアンレストランに就職。その後「銀座クルーズ」に入社、17年間働き、総料理長の座に就く。2012年に「株式会社 ジャパンフードシステムズ」に転職、さらに独立の経験を経て、2016年10月、代表取締役となって復帰。

2018年12月掲載

飲食の世界は自然と身近に… 気がつけば、料理人になっていた

 料理人からスタートして、総料理長に昇進、そして支配人、営業本部長、さらには独立をも経験して現在は「株式会社 ジャパンフードシステムズ」の代表取締役社長に。そんな稀有な経歴の持ち主である松永氏は、物心ついたときから飲食という世界がすぐそばにあった。

「両親が小さなレストランをやっていたので、子供のときからお店を手伝っていましたし、高校時代に初めてアルバイトをしたときも自然と飲食店を選んでいました」

 そして19才でイタリアンレストランに就職をすることになるが、飲食業界に足を踏み入れたときの松永氏の気持ちはまだ軽く、何かしたいという向上心よりも、目の前の仕事をとにかくこなすことだけに真剣になっていたと話す。しかし、そのまっすぐな姿勢が評価され、1〜2年後にはその店舗をまかされるようになり、さらに「銀座クルーズ」から声がかかり転職、ここで松永氏は17年間働き、総料理長兼営業本部長という、あまり聞きなれない役職に身を置くことになる。

「総料理長になってから、これは〝料理人あるある〟だと思うんですが、ホールのできない部分が気になって、もう少し自分の思うように動いてくれないだろうか…と。そんな気持ちが強くなり、自分で支配人も兼任することにしたんです。それがなぜか営業本部長にまでのぼりつめてしまって(笑)」

 それまでは厨房の中にしかいなかった松永氏は、こうしてホールの仕事もまかされるようになる。そして大きなことに気づく。

「料理人としてずっと生きてきた私がホールサイドにたったときの感想は、すごく大変だということ。ホールスタッフはお客様を中心に動かなくてはいけないし、クレームの対応もしなければならない。つまり、自分のペースでは動けないんです。料理人のときはホールの人間に対して不満を抱いていたんですが、両方の立場になれたことはすごい貴重な経験になりました。ホールであろうが料理人であろうが、どちらもお客様のために動けばいい。そんな図式を自然と覚えたんです」

 そして40才を目前に控えた松永氏は、さらなるステップアップを目指して「ジャパンフードシステムズ」に転職をすることになるが、それは平坦な道では決してなかった。

たったひとりで、新しい世界へ そしてトップを任されるまでに

「32年という歴史がある会社に総料理長として私がぽんっと役職をいただいて入ってきたものだから、当然、下のスタッフも幹部の人間も『誰だ、こいつは』という感じで、スタートはまさにひとりぼっちでした」

 さらにまかされた店舗の売り上げが落ちて、立て直しができなければ辞めなければならない…そんな過酷な状況に追い込まれてしまった松永氏がしたこととは。

「幹部の人たちに力を貸してくれと頼みました。そして、なぜタパス&タパスが32年間売れ続けているのかという話をじっくり聞いたんです。お客様に支持されている理由を理解したうえで、自分ができることを付け足したら売り上げはすぐに戻りました」

 この松永氏の行動は、人間関係にもプラスの影響を及ぼした。

「この人は今までの話もきちんと受け入れるし、新しい技術も持ってきてくれる…と思ってもらえたみたいで、次第に社内の仲間が増えて、当時の24店舗全部をまかされる立場になることができました」

 それまで敵対していた人達と話をすることで打ち解け、売り上げが落ちた理由を知ることで店舗を立て直した。この経験は、松永氏にとってターニングポイントだったという。そして、このまま何事もなく社長へ就任していくのかと思ったが…。

「社内の協力を得て、なんとか業績回復に漕ぎ着けることができました。しかし私は元来、料理人です。料理に対するこだわりが強かったこともあり、現状に甘んじることなく、更に料理人として自分を成長させたいと思い、退社して独立することにしました」

 こうして、新橋にスタンディングの創作イタリアンバールをオープンした松永氏。バールの評判は上々で、さらなる展開に目を向けようとした矢先、「ジャパンフードシステムズ」への復帰を求められたという。 「理由は社内での成長戦略の一つに料理のクオリティ向上があったからです。そのため私に白羽の矢が立てられたようです。しかし私には自分のお店があったので一度はお断りしました」

 しかし、昔一緒に働いたスタッフの顔が浮かび、思い入れのある「ジャパンフードシステムズ」に戻ることに。料理人からはじまって、支配人、営業本部長、独立…そしてついに2016年の10月、松永氏は社長になった。

松永 藤吾さん

特殊な経歴があったからこそ
たどり着いた今の答え、今の人生

 社長就任後、松永氏が会社の立て直しのためにまず行ったのは、全メニューの変更だった。

「料理人の経験があるからこそ、一度メニューを食べれば、どう改善すべきかが分かるので、指示もすぐだせました。全メニュー変更するのは大変でしたが、知っているメンバーも多かったので、最初にこの会社に来たときよりもすべてがスムーズに進みましたね」

 こうやって、経営方針を軌道修正した松永氏だが、様々な経験があるからこそ譲れない思いがあると話す。

「お客様がこの料理を食べて、もう1回、お店に来てくれるのか。すべてはここだと思います。だからこそ、料理に妥協は許されません。そのためには料理人の料理にきちんとジャッジを下せるかどうかが大事なんです。まずいものはまずいときちんとジャッジできる人間が会社にひとりでも多く増えないと、組織として成長できないと私は考えています」

 この思いに至ったのには、独立の経験があったからだと松永氏は続ける。

「自分で独立をしてお店をやっていると、自分の料理でもう1回お客様がお店に来てくれるかどうか、これしか判断基準がないんです。お金を払ってでも食べたいと思ってもらえるかが、飲食の根幹じゃないでしょうか」

 だからこそ、松永氏の料理へのジャッジの基準は高い。

「僕が基準を引き上げることで、味のクオリティも上がる。うちの料理は、3ヶ月ぐらい修業しないとつくれないので、働きはじめてすぐにつくれるものではないんです。でもきちんと覚えることで、どこにだしても恥ずかしくない料理がつくれるようになる。それは料理人として宝になるはずです」

 すべてはお客様の再来店のために。おいしい料理の基準は絶対に下げずに地道にコツコツと会社を大きくしていくこと。これこそが松永氏の今の夢。そして最後にこう付け加えた。 「いろいろ大変でしたが、特殊な経歴があって本当によかったです(笑)」

362shop.jpg【取材店舗】タパス&タパス 自由が丘店

株式会社 ジャパンフードシステムズ
─ 店舗情報 ─

タパス&タパス 自由が丘店

住 所:東京都目黒区自由が丘1-26-7 ストークビル2F

電 話:03-3723-1685

タパス&タパス 渋谷公園通り店

住 所:東京都渋谷区神南1-7-7 NDOS-Ⅱビル2F

電 話:03-3462-0885

タパス&タパス 青山店

住 所:東京都渋谷区渋谷1-8-5 グローリア宮益坂ビル2F

電 話:03-5774-4566

タパス&タパス 下北沢北口店

住 所:東京都世田谷区北沢2-30-2 サンセルボンビル2F

電 話:03-3467-5555

タパス&タパス 吉祥寺店

住 所:東京都武蔵野市吉祥寺本町2-13-11 アイビル2F

電 話:0422-23-1175

他店含め、現在20店舗展開中

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文:安藤 陽子 写真:yama

2018年12月20日 掲載

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