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株式会社 すずや
代表取締役 蟹江 脩礼
「義理と人情とやせ我慢の精神」で、人間味のある会社にしていきたい
蟹江 脩礼
– Nobuyuki Kanie –
1975年生まれ。23才の時に家族で「すずや本店(溝口店)」を開業。持ち前の人懐っこさで地域に愛される店へ成長させ、現在は溝の口、武蔵中原、自由が丘に居酒屋と惣菜店を5店舗展開する。地産地消にも取り組み、地元川崎産の農作物を多くメニューに取り入れているほか、行政とも連携し、地域の特産物の開発も行う。
溝の口、武蔵中原、自由が丘に居酒屋と惣菜店を展開する株式会社 すずや。地産地消を推進し、行政とも連携しながら地域密着をモットーに営業する飲食企業だ。1999年に家族で創業し、今や5店舗を展開するまでとなった同社。代表取締役の蟹江 脩礼氏に、これまでの軌跡を聞いた。
23才、飲食素人から居酒屋を開業 順風満帆、2店舗目も出店
「人と関わるのが好き」と話す蟹江氏。幼い頃から、父や母は家に人を招いてもてなすことが多かったという。そんな家庭に育ったことが、蟹江氏の原点だ。高校時代は土木作業員のアルバイトを通じて、「お金を稼ぐこと」の楽しみを知ったという。卒業後は配管工事の仕事に従事。「毎朝6時から夜8時頃まで働き、18才にして月40万円、20才そこそこで多い時は60万円ほど稼いでいましたね。とにかく仕事が楽しくて……」と、蟹江氏は振り返る。
そんな折、蟹江氏が23才のときに両親が離婚。それを機に、母・妹とともに飲食店を開業することになった。それが蟹江氏の飲食人生の始まりだ。「開業前に半年ほど、渋谷の『おじゃったもんせ』という居酒屋で働かせてもらいましたが、それ以外に飲食の経験はなく、ほぼ素人。でも、飲食店なんて誰でもできる! と、当時は勢いだけで始めてしまいました」と蟹江氏は笑う。
そうして溝の口にオープンした「すずや 溝の口本店」は、地元住民を中心に賑わい、たちまち繁盛店になった。”飲食素人”だった蟹江氏が成功した理由とはなんだったのだろうか?
「とにかくお客様に喜んでもらいたい、そんな思いで接客していたことが功を奏したのではないでしょうか。家族3人でやっているこぢんまりとしたお店だったので、親しみやすさを心掛けていましたね」と蟹江氏は話す。
そのわずか1年後には、2店舗目の「鈴や 武蔵中原店」をオープン。本店と同様に、営業はすぐ軌道に乗った。その後、さらなる集客を見込み、2店舗ともそれぞれ店舗面積を拡張。とくに、2店舗目の『鈴や 武蔵中原店』は、店舗裏の倉庫として使っていた10坪程のスペースを約50席の座敷席として作り替えたことで、売上が前年の140%にもなったという。
「武蔵中原という土地は企業城下町です。すぐ近くに富士通のオフィスがあり、そこで勤務されている方々がよく来店してくださっていました。この界隈には大規模な宴会のできるお店が少なかったので、座敷席を作ったことで、近隣で働く方々の宴会需要を一気に取り込めたことが大きかったのではと思います」
会社の売上が増えるにつれ、家族と数名のスタッフで始めた会社は、気づけば7人の社員と約20人のアルバイトを抱えるまでになった。”いち個人店”から”企業”として成熟するなか、蟹江氏が着手したのが、社内のルールや仕組み作りだ。「人が増え、ルールを定めないと回せない規模になってきていました。企業理念や就業規則など、企業としての制度を整え、スタッフが安心して働ける環境を提供すると同時に、私が大切にしていることをスタッフに浸透させたかったんです」と蟹江氏は話す。そのときに作った資料は、改訂を繰り返しながら、今もスタッフに脈々と受け継がれている。同社で働きたいと面接にきた人には、蟹江氏は資料が入った分厚いファイルを見せながら、一つひとつ、会社のことを説明するのが常だ。
「こうやって文字にまとめるのが好きで、ついつい文章が長くなってしまいます(笑)。でも、一緒に働くうえで、仲間とこの想いを共有したいと考えています。高校生のアルバイトの子達にはピンとこないこともあるんですけど、そんなときは若い子が興味を持つよう、恋愛に例えて説明します。『お客様を好きな子だと思って接しなさい』って(笑)」
まとめられているのは理念や想いだけでなく、スタッフが働くうえでの規定・規則も細部にわたって整えられている。その結果、労働基準監督署関連団体から、就労環境の優れた企業として表彰を受けるほどだ。
3店舗目にして初めての挫折 地道な努力の末、今や大繁盛店に
ここまで順風満帆に見えた蟹江氏だが、3店舗目で躓いた。「かねてから『30才までに都内に出店』という思いがあり、ちょうど自由が丘に物件を見つけて、開業することにしました。これまでの集大成として、かなりお金をかけてお店を作り込みました。ところが、オープンしたものの見事に大コケ。それから7~8年の間は売上が伸び悩みました。閉めようと思ったことも何度もあります」と蟹江氏は話す。
それでも諦めずに、地元の人に喜んでもらうには? と考えながら、地道な営業を積み重ねていったことで、少しずつ少しずつ、店は軌道に乗り始めた。今では同社でもっとも高い売上を誇る店舗にまで成長したという。
チャレンジ精神こそ成長の鍵
可能性を広げる経営者でありたい
ところで、同社の企業理念のなかに「義理と人情とやせ我慢の精神」というものがある。2011年3月11日、東日本大震災が起こったとき、世の中は自粛モード、店の売上は落ちていった。その状況を打破すべく、店頭での惣菜販売を始めようと考えた蟹江氏。そのとき、同社を退職し地元福島県で独立を果たしたものの、震災の影響により店舗を立ち退かざるを得なくなったスタッフがいたという。行き場を失ってしまった彼に、蟹江氏は、「今、店がピンチで。悪いけど、ちょっと手伝ってほしいんだけど」と、店頭販売のための売り子の仕事をお願いし、生活が落ち着くまではと自宅に招いた。一緒に苦楽を共にした仲間を助けたい、まさに義理と人情に溢れた想いがそうさせたのだろう。「とにかく私は彼を助けたかった。でも、私は『地元に帰れなくなったなら、また雇ってやる』なんて恩着せがましい言い方はしません。あくまで、『うちが困っているので手を貸してほしい』という体で。これが”やせ我慢の精神”。自分にとって大変なことも、相手にそれを悟られないようにする。うちで働くスタッフには、こういった心を持ってほしいんです」と蟹江氏。
「高校生のころから『ビッグになりたい』と思っていて、社長になりました。でも、実際になってみてわかりましたが、社長は全然ビッグな仕事じゃない(笑)。日々、お店やスタッフのために走り回り、コマ使いみたいな仕事の連続です。思い描いていたビッグな仕事ではなかったけれど、それならば私は社長として、人間味のある会社にしたいと思うのです」と話す。今後も物販事業の拡大や、将来はホテル経営、そして夫婦でこぢんまりとした小料理屋をやりたいなど、蟹江氏の夢は尽きない。最後に蟹江氏はこう語る。
「相手に思いを馳せることができる人、人の喜びを自分の喜びにできる人と共に働いていきたいですね」
【取材店舗】鈴や 武蔵中原店
株式会社すずや
─ 店舗情報 ─
鈴や 武蔵中原店
住 所:神奈川県川崎市中原区下小田中1-6-2
電 話:044-740-3458
すずや 本店(溝口店)
住 所:神奈川県川崎市高津区溝の口2-3-7 サウスウィングビル2F
電 話:044-857-1079
すずや はなれ
住 所:神奈川県川崎市高津区溝の口1-1-30-105
電 話:044-948-5180
和酒と肴 鈴や 別館
住 所:神奈川県川崎市中原区下小田中1-5-9 第2井村ビル1F
電 話:044-777-3380
すず家(自由が丘店)
住 所:東京都目黒区自由が丘1-3-21 ハイブリッジビルB1F
電 話:03-3718-1598
現在、5店舗展開中
文:大関 愛美 写真:yama
2018年11月15日 掲載
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