直接聞けない求人の疑問・質問はグルメキャリーが応えます!
「ぶっちゃけ読者ダイヤル」0120-149-880(飲食エイエイオ―)

給与、勤務時間、休日、待遇etc…。聞きづらい事はまずグルメキャリーに聞こう!
疑問を解決してスッキリ応募!(受付/月~金 10:00~19:00)
MENU

クオルス 株式会社 代表取締役社長 高波 利幸さん求人・クオルス 株式会社 代表取締役社長 高波 利幸さん転職情報 グルメキャリー

企業Top・経営陣に聞く経営ポリシー&見つめるビジョン

leaderLogo.jpg

クオルス 株式会社

代表取締役社長 高波 利幸

新潟からローマへと続く波乱万丈の道
そこには食文化を伝える使命があったる

main.jpg

高波 利幸
– Toshiyuki Takanami –

1968年、新潟県上越市生まれ。高校卒業後、服部栄養専門学校に入学。在学中のヨーロッパ研修がきっかけでイタリアに興味を持つ。1993年に会社設立、新潟にイタリアンレストランをオープン。東京・青山「トラットリア イル・パチョッコーネ」等国内に6店舗、イタリアに1店舗を経営。イタリア食材・ワインの卸売事業なども手がける。

飲食店経営の面白さに動かされ新潟から東京へ順調に進出

 東京・青山にある人気イタリア料理店イル・パチョッコーネ。運営会社であるクオルス 株式会社の代表高波利幸氏は、新潟を拠点に、東京・神奈川エリアで店舗を展開。2012年にはイタリアのローマにイタリア料理店をオープンさせた。

「若いころは、25才までに店を持つのが夢でした。『いずれは経営者になる』という意識で仕事をしてきたおかげで、念願どおり25才で新潟に第一号店をもつことができました」

 1995年には2号店、翌年には3号店と展開し、1998年にはイル・パチョッコーネで東京進出を果たす。

「本場のナポリピッツァが珍しい時代だったこともあり、とても繁盛しました。僕は、自分の考えたことがお客様に受け入れられることを素直に喜んでいましたが、その一方で『商売ってこんなに簡単なんだ』という慢心もありました」

 そんななか、森ビルから六本木ヒルズへの出店要請があった。

「僕は、もっと面白いこと、すごいことをしようと考えました。その情報収集のために、まずアメリカに行ったんです。当時アメリカには、新しい業態の飲食店が大きな成功をおさめていました。たとえばイタリア・ミラノ発祥のカフェが発展した『スターバックス』や、伝統的な食を洗練させた業態に広げた『ディーン&デルーカ』のような。自分でも、それをやってみたいと思いました」

毎日が「文化祭」のように過ぎた自転車操業のスパイラル

 高波氏はデリカテッセン&レストランを、試験的にまずは新潟市で展開した。しかし、商品はことごとく売れなかった。

「はじめのうちは、すぐ売上は好転するだろうという変な自信と期待がありました。だけどいつまでたってもその兆しはなかった。商品開発もたくさんしました。カリフォルニアロール、パンにしか合わないような惣菜…。『ご飯のおかずにならないのよね』なんてお客様のお声も、今思えばちゃんと聞いてなかったんですね。毎日大量の商品を廃棄し、月250万以上の赤字を出し続けました。だけど、軌道修正もできず、自転車操業的なスパイラルから抜け出せませんでした。午前中に商品のアイデアが出れば、午後には実行するような、毎日が『文化祭』みたいで…。『こんなふうにして人は自己破産するんだろうな』と感じながらね」

 そんな日々が3年続き、気づけば借金も3億円にのぼっていた。

 一時は、本気で倒産することも考えた。しかし高波氏は、経営を続けることを選んだ。崖っぷちまで追い詰められた彼を支えたのは、「ここで終わるわけにはいかない」というプライドと、「一緒にがんばりましょう」と残ってくれた仲間たちだった。

「従業員には『もう一度、力を貸してほしい』と頭を下げました。そして、一からやり直すつもりで話し合いを重ねました。その結果、自分達が得意なことに特化し、それをブラッシュアップさせていく方向性で意見が一致したんです」

 そして2007年。川崎にある、イタリアン・エンタテイメント街「ラ チッタデッラ」への出店をきっかけに、同社の経営はV字回復を果たした。

「まさに人生の転機でしたね。僕は、自分にできること、すべきことを丁寧にやっていくことの大切さを学びました。また、今後は本当にイタリア料理が好きな人だけを採用しようと決めました。『イタリアの食文化を伝える』という夢を、一緒にかなえていける人と仕事をしたいと思ったんです」

高波 利幸さん

イタリア食文化を日本に伝える
自身の原点はそこにある

 2012年、同社がイタリア・ローマにオープンした「トラットリア イル・パチョッコーネ」は、日本人が経営するイタリアンレストランとして現地でも話題となった。高波氏は、イタリアンレストラン経営者としての大きな夢を叶えたように見えるが――。

「それほど、イタリア出店を見据えていたわけではないんです。ただ、先の転機をきっかけに、店にはイタリア好きな従業員だけが残ったわけで、そうなると話題は主にイタリアのことになります。『イタリアに修業に行きたいね』となるのも、ごく自然な流れでした。僕としては、彼らに長く勤めてもらいたいし、夢をかなえてあげたいという思いもありました」

 高波氏は頻繁にイタリアへ行き、その労働環境を偵察した。そこで明らかになったのは、日本の料理人にとっての大きな障壁だった。

「いま、イタリアで料理の修業をしている日本人はとても多い。どのレストランに行っても厨房には日本人が働いています。しかし彼らの多くはビザの関係で、3ヶ月~1年ほどで職場を変える人が多いのです。そんな環境ではきちんとイタリア料理を学べないし、出世もできません。イタリアで副料理長、料理長をやらせてもらえる人なんて、ほんの一握り。だけど給料や住まいを確保することが先ですから、働かざるを得ないんです」

 高波氏がローマに店を持ったのは、そんな労働環境をクリアするためだ。自身の店に従業員を送れば、日本人でも腰を据えて料理を学べ、現地の反応をダイレクトに感じることも可能になる。

「レストランはおかげさまで盛況ですが、そこで働くとなると、生活習慣の差、日本と違う不便さ、そして人種差別などもあり、やはり一筋縄ではいきません。ただ、この会社でしかできない経験をさせてあげられるのは確かなので、希望すればいつでも行ける体制は維持したいですね」

 ローマ出店まで果たす、高波氏のモチベーションは何だろうか。

「僕の夢は、イタリアの食文化を日本に伝えること。そのために『ちゃんとした料理が食べたいなら』『イタリア料理を学びたいなら』あの店で、って言われるようになりたいんです。そして、僕らにしかできないことも大事にしたいですね。僕は2年前にイタリアと日本の栗の生産者を引き合わせたんですが、互いの国の料理に感心しつつ新しいものを作るような、ちょっと深い食文化の伝え方ができたらいいなと思っています」

 独立を見据える人に、アドバイスを聞いた。

「大切なのは、独立したあとのこと。店の役割や存在意義を、漠然とでもいいから考えてみるといいと思います。僕が25才のときに抱いていた『イタリア食文化を新潟から広げるんだ』という覚悟は、倒産の危機に立たされたとき、自分を支えてくれました。泥臭いようですが、そういった『使命感』をもつことができれば、経営者として強くなれると思います」

349shop.jpg【取材店舗】IL PACIOCCONE

クオルス 株式会社
─ 店舗情報 ─

IL PACIOCCONE

住 所:東京都港区南青山6-15-8

電 話:03-5468-0555

TRATTORIA del PACIOCCONE

住 所:東京都中央区銀座1-8-19 キラリトギンザ7F

電 話:03-6264-4567

ALLA VECCHIA PENTOLACCIA

住 所:新潟県新潟市中央区上近江2-4-23

電 話:025-384-4861

CASALE del PACIOCCONE

住 所:東京都港区南青山1-11-25

電 話:03-6438-9235

Trattoria LA PENTOLACCIA

住 所:新潟県上越市下門前2292

電 話:025-545-3991

IL PACIOCCONE DI CHIANTI

住 所:神奈川県川崎市川崎区小川町4-1 マッジョーレ1F

電 話:044-230-2355

他、イタリアに1店舗、現在7店舗展開中

現在掲載中の 東京都 の求人募集 ・神奈川県 の求人募集
または 6~10店舗を運営する企業の求人募集

文:瀬尾 ゆかり 写真:yama

2017年12月21日 掲載

>>記事一覧へ戻る

飲食業の転職求人情報を見る