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株式会社 加寿翁コーポレーション
代表取締役社長 竹内 太一
もうすぐ創業100周年・・・・・・大事なのは数よりも永く続けること
竹内 太一 – Taichi Takeuchi –
1953年、高知県生まれ。高知市にある小・中・高校を卒業後、大学に進学と同時に家族で上京。大学卒業後、祖父の代から続く株式会社 加寿翁コーポレーションに入社。常務、専務を経て1996年に3代目社長に就任。土佐料理店「祢保希」、「司」、黒潮料理「酔鯨亭」を運営する一方で、一般社団法人『海の幸を未来に残す会』の代表理事としても活動中。
生まれ育った高知を離れて上京、家業を継ぐまでの道のり──
「今日は久しぶりにネクタイをしたから、暑いな(笑)」と言いながら登場した竹内氏は、赤坂の一等地にある土佐料理「祢保希」をはじめ、系列店を高知・大阪・東京に12店舗展開する老舗会社の3代目経営者であり、一般社団法人『海の幸を未来に残す会』の代表理事も務めている。そんな彼の人生はというと──。
「祖父が大正6年から割烹を経営していたんですが、父は最初、祖父の店を継がずに独立して中華料理店をやっていました。でもその後、土佐の食材や料理に着目し、それまで高知にはなかった土佐料理というカテゴリーを開拓したんです。土佐料理という言葉は、父がつけたものなんです」
小さなころからずっと、飲食店が身近な存在だった竹内氏。高知では父親が経営する中華料理屋のビルの上に住み学校に通っていた。
「私が大学に入学すると同時に、家族で上京して、赤坂に『祢保希』の東京第一号店として、自社ビルの土佐料理店を開店しました。ちなみにそのころ住んでいたのも、この赤坂のビルの四階。私は店のあるビルの上に住む宿命にあったようです(笑)。銀座にも自社ビル店舗がありますが、銀座店も一番上の階を住居にしていました」
祖父から父へとお店が継がれていく流れを目の当たりにしていた竹内氏は、本人が3代目になるとは、当時は思ってもいなかったと言う。
「小中学生のときになりたかったのは新聞記者だし、高校に入ってからは商社マンになりたかった(笑)。大学も体育会系でヨット部でヨットばかりしていましたし、卒業するまでは外資系の会社に就職するつもりだったんです」
しかし、大学卒業を前にして、店舗の人手不足に悩んだ母親から、家業を継いで欲しいと強く頼まれた竹内氏。その答えは──。
「もともと強い志をもって、外資系の会社に入りたかったわけではなかったし、親の商売をそばで見ていて外食には興味もあったので、内定した企業をあっさり断り、現在の会社に入社しました」
会社に入ってから行った改革とぶつかる壁、その乗り越え方
入社後すぐにはじめたのは調理見習。そして1年半後、人手不足もあって竹内氏は新宿に開店した2店舗目のお店の店長をまかされる。
「何も分からない若造だったけど、ベテランの番頭さんを補佐につけてくれたのでなんとか乗り切れました。ただ、店長になって分かったことは、なかなか人が定着しないという問題。高度成長期で当時はどこのお店もそうだったけど、とにかく忙しくて……。それでも不思議とこの仕事が楽しくて、毎日休まずに働いていました」
その後、いろいろなお店を担当し、採用の仕事もまかされるようになった竹内氏は、新しい試みをはじめた。
「今までにはなかった東京での現地採用をはじめました。それまでは高知から人を呼んでいたのですが、それではいつまでたっても多店舗展開が出来ない。ちなみに今の赤坂店にいる総調理長はそのとき採用した人です」
さらに竹内氏が変化をもたらせたのは、仕入れの改革だった。
「それまでは魚の仕入れ先はすべて高知で、東京に運ぶルートもひとつだけだった。でもそうなると、台風などがきたときに魚が届かなくなり、急いで近くの市場で手配することになるので、魚の品質が安定しないんです。うちにくるお客様は魚の味を目当てでいらっしゃるのに、品質が安定していないのでは申し訳ない。それを克服させる為には、ひとつの食材(鮮魚)に対して、高知だけではなく複数の産地を持っていた方が安定供給が出来ると考え、全国各地に出向き産地開拓をするようになりました。今では魚の種類ごとに産地を変えて、その時季でいちばんいいものを産直で仕入れています。10年ほど前からは、朝獲れの天然魚を夜に店舗で毎日提供できる体制が整いました」
そして、竹内氏が3代目経営者となる日が訪れる。それは彼が46才のときだった。当時はバブル崩壊で会社には多額の借金があった。そこでまず竹内氏が行ったことは──。
「赤字のお店を撤退させること。20店舗あったお店を12店舗にしたんです。もちろんむやみやたらに撤退させたわけではなく、主力業態以外のお店と出店地域に1店舗しかないお店(京都・名古屋・松山)を順番に撤退させていきました。こうして既存店の売上は徐々に回復しました。同時に、このとき痛感したのは、お店をたくさん出店することよりも、店舗数が少なくても美味しい料理を提供してお客様に喜んでいただける店づくりをしなくてはいけないということでした」
未来に向けて自分に課すべき
ミッション(使命)は人材育成──
経営者となった竹内氏は人材育成制度やメニュー開発をはじめとする企業戦略に大きな興味を抱くようになる。
「その頃、京セラの創業者である稲盛和夫さんが、中小企業の経営者を育てるセミナーの〝盛和塾”というのをはじめて、そこに呼んでいただいたんです。そこでは技術的なことよりもリーダーとしての考え方を学びました。リーダーはどんな考えを持ち、どんな行動をするべきか……ひとことでいうと、そんな感じです」
こうして竹内氏が導き出した、リーダーに必要なこと。それは──。
「会社の使命は何かということを社長がしっかりと決めて、それを守ること。きれいごとだけでは済まされないが、やはり会社の理念はすごく大事だと思います。経営の神様と言われている稲盛塾長が創業した京セラの経営理念が『従業員の物心両面の幸福を追求すると同時に、人類、社会の進歩発展に貢献すること』であることを知り、心が揺さぶられました」
竹内氏の会社は来年に創業100周年を迎える。まわりからは、竹内氏は成功者に見えるが、彼の考えは違う。
「今まで自分が成功したとは一度も思ったことはありません。まだ道半ばだと思っています。100周年は大きな節目であり、企業革新のチャンスだと捉えています。まずはわが社の未来を支える人材育成が急務であり、最優先の課題であると考えます。特に調理師育成制度には力を注いでいます。具体的には、入社2年目から5年目までの若手調理師を毎月2回、赤坂店にある研修センターに集めて総調理長が直接一人ひとりに技術教育を実施。店舗だけではフォローできない指導や技術テストを実施して、調理師育成を図っています。もう一つは、持続可能な漁業を実現するための『海の幸を未来に残す会』の社会活動。これまでは、日本の豊かな海のお陰で永く商売を続けていくことが出来た。しかし今後は、危機的な状況にある日本の水産資源を再生する一助となることが自分たちの使命であり、100年続けて来れたことに対する恩返しだと考えています」
来年、100周年を迎えたあとも、竹内氏にはやるべき課題がまだまだたくさんありそうだ。
【取材店舗】土佐料理 祢保希 赤坂店
株式会社 加寿翁コーポレーション
─ 店舗情報 ─
土佐料理 祢保希 赤坂店
東京都港区赤坂3-11-17
電話:03-3585-9640
土佐料理 祢保希 銀座店
東京都中央区銀座7-6-8
電話:03-3572-9640
土佐料理 祢保希 新宿店
東京都新宿区西新宿1-26- 新宿野村ビル49F・50F
電話:03-3343-9640
土佐料理 祢保希 日本橋店
東京都中央区日本橋室町2-4-3 日本橋室町野村ビルYUITO3F
電話:03-3275-9640
土佐料理 祢保希 丸の内店
東京都千代田区丸の内2-1-1 明治安田生命ビルB1F
電話:03-3212-9640
土佐料理 司 高知本店
高知県高知市はりまや町1-2-15
電話:088-873-4351
他、現在12店舗展開中
文:安藤 陽子 写真:ボクダ 茂
2016年10月20日 掲載
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