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独立希望者必見!個人店オーナーからの熱いメッセージ

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鮓職人 秦野よしき

店主 秦野芳樹

弟子に教えて店をうまくまわすことこれこそが厨房に立つ経営者の修行

いつも笑顔でお店に立って 人の輪をつなげていきたい

秦野芳樹(Yoshiki Hdano)

1984年、東京都生まれ。喘息で病弱だった幼少期をのりこえ、文武両道を目指し国士館高校に進学。同大学を卒業後、鮨匠岡部などで修行を積みつつ、ケイタリングを開始。28歳で麻布十番に『すし道』を開店。2015年『鮓職人 秦野よしき』に改名し、リニューアル。。

2018年4月掲載

喘息で病弱だった子供時代に食の世界への興味が生まれる

 座右の名は「昨日より今日、今日より明日」と明言するのは、28才という若さで独立を果たし、都内でも一等地の麻布十番に店を構えて今年で5年目を迎える秦野氏。今では多くの有名人や著名人も訪れるほど有名店の店主となった彼だが、飲食の世界に興味をもったきっかけは病弱だった幼少期へと遡る。 「実は僕、喘息で、小学校はほとんど通えていないんです。だから小さい頃は、家庭科教諭の母と体力をつけるために山に登って山菜を採ったり、川でよもぎを摘んでだんごをつくったりして遊んでいました」

 中学に入学し、喘息の症状もゆっくりと落ち着いてきた秦野氏にはいくつかの夢があった。 「よくお世話になっていた影響からかお医者さんか警察官になりたかった。でも、小学校の時にテレビで『料理の鉄人』を見ていたので、料理人もかっこいいなぁと漠然と思ってはいましたね。さらにイタリアンブームで、手作りピザが流行った時代だったので、カウンターのピザ屋をやるのもいいかも……とも考えていました。だから、食への興味の入り口は意外にもイタリアンでした」

 そして、高校では剣道と柔道をこなしながら、勉学にはげむ。 「小学校を休みがちだった僕は、集団生活が苦手だったんです。だから、高校と大学ではきちんと厳しさを学びたかった。とは言え、モテたくて大学でサーフィンをはじめて、雑誌の読者モデルもやってました(笑)。そして、このときから、将来の夢を現実的に考えはじめましたね」

 誰にもなにも言われずに、好きなことを仕事にしたい。そう強く思っていた秦野氏が選んだ道、それこそが飲食だった。 「大学時代にいくつか飲食店でアルバイトをしていたんですが、寿司がいちばん単純で難しかった。僕は話すことも好きだったので、目の前でお客さんと話しながらできる仕事がしたいと思うと、寿司以外に選択肢はありませんでした」

 こうして秦野氏はすし職人になるべく、いくつかの寿司屋で修業することを決意する。

寿司屋で修業……でもとにかく

早く独立がしたくてはじめたこと

「修業期間は、約7年。その主軸となったのは『鮨匠 岡部』で、親方にはすし職人としての生き方を含め、いろいろと学ばせてもらいましたし、大きな影響を受けました」

 早く独立するために、修業をしながら秦野氏がチャレンジしたこと。それは、寿司のケータリングだった。その理由を訊ねてみると……。 「修業はもちろん大事なので、店では修業に打ち込んでいましたが、それだけでは自分で握ることはできない。だから、休みの日に知り合いに頼んでケータリングをさせてもらいました。タワーマンションのラウンジを貸し切ってもらったり、マッサージ屋さんのロビーで握ったりもしました。学んだことを実践したかったというのが大きな理由。親方もそのことは知っていて『まだ早い』と言いながらも、帰り際にひとことアドバイスをくれる……その感じがたまらなくかっこよかったです」

 修業をこなしながら、いろいろなところに頼み込んで、ケータリングを続けていくうちに自信もつき、お客様からの評判もどんどん良くなっていく中で、麻布十番にひとつの物件が空いたから、ここでお店をやってみては……という声が、秦野氏にかかる。それが28才のとき。

「ありがたいことに、まわりからのプッシュもあって念願の独立が叶いました。作業自体はケータリングのときと大きな差はなかったのですが、店としてのクオリティをあげなくてはいけないというプレッシャーはありましたね。最初のうちはお客様が0人の日もありましたが、どこかで自分を信じていたので、なにもこわくはありませんでした」

 すしの道を極めるために店名は『すし道』。そして2015年に店の名前とスタイルを変え『鮓職人 秦野よしき』として、新たな出発に乗り出すことになる。

高倉氏が考える経営三箇条

秦野氏が考える経営三箇条

01 何を言われても、いつでも笑顔を大切に

02 挨拶をはじめとする、礼節を重んじる

03 何年経っても常に初心忘るべからず

ゴールも目標も決めない主義 夢はいくつあっても、いい

「独立当初は、僕が楽しければいいと考えていましたが、今はいかにお客様に楽しんでもらえるかが全て」

 お店を舞台と考え、1日2回公演をしている気持ちでお客様をもてなしているという秦野氏にはひとつの考えがある。それは、自身も早くに独立したことにつながる。 「すし職人が早く独立できる環境が必要だと僕は思います。修業というのは、長くすればいいものではなくて、伝統と考え方を身につけることが大事。だから『鮓職人 秦野よしき』は僕と同じような考えをもつ人が増えたらいいなと思って改名しました。もし木村太郎さんという人が弟子にいたら『鮓職人 木村太郎』という店を持たせてあげる。鮓職人グループにして、若い人が早く独立できる環境をつくりたかったんです」

 イタリアンの要素を寿司に取り入れたことも、リニューアル後に変わったことのひとつ。 「地中海性気候と日本の瀬戸内気候が一緒だということを思い出して、いろいろと調べたんです。すると、イタリアンと日本食は似ている部分があって、ならば寿司にイタリアンのエッセンスを入れたらすごいおいしいんじゃないかと閃いたんです」

 最初に述べた秦野氏の座右の銘には、深い意味がある。彼はいつもお客様が帰るときに「ありがとうございました、すみませんでした」と最後に謝る。そこには「今日来てもらってすみませんでした、明日のほうがおいしいです」という深い意味が込められている。 「何がいちばんかは分かりませんが、自分もお客様も納得するかたちのいちばんをとることが夢です。その夢を叶えるためなら今、なにかを犠牲にすることも厭わないです。料理人は毎日が修業、弟子を育ててお店をうまくまわしていくことこそが、厨房に立つ経営者としてのいちばんの修業なんでしょうね。なんてうまくまとめすぎたかな(笑)」

 喘息のハンデを乗り越えた秦野氏は、全国の喘息患者にも大きな夢を与えたい……と笑顔で話を終えた。

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鮓職人 秦野よしき

住 所:東京都港区六本木5-11-25 鳥居坂アネックス3F

電 話:050-3196-8996

時 間:18:00〜23:00

定休日:日曜日・祝日(祝日は月曜日の場合のみ)

交 通:地下鉄各線「麻布十番駅」7番出口より徒歩3分

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文:安藤 陽子 写真:yama

2018年04月05日 掲載

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