独立希望者必見!個人店オーナーからの熱いメッセージ
うなぎ藤田
代表取締役 藤田 宗篤
飲食の仕事に携われば、”人間力”が必ず向上します。
藤田 宗篤(Muneatu Fujita)
1972年、東京都日野市生まれ。中学時代より、先代が昭和39年に立ち上げた「うなぎ藤田」を手伝う。大学卒業後は、スポーツイベント系の会社に4年間勤める。その後、26才のとき実家に戻り、先代のもとで修業。2006年に代表取締役を受け継ぎ、現在に至る。
2016年5月掲載
生まれ育った地元で二代目として うなぎへのこだわりを継ぐ……
小学校が目の前にある住宅街でありながら、道路をはさめばすぐそこには工業団地もある。そんな日野市の多摩平に店を構える「うなぎ藤田」は、昭和39年に開業して以来ずっと地域の人々に愛され続けている老舗。この地で生まれ育った二代目店主の藤田氏が、先代からお店を引き継いだのは今から10年前のこと。
「中学生のときからずっとお店の手伝いをしていたので、うなぎは身近な存在でした。ただ、大学を卒業してからはサッカー好きが高じてスポーツイベントの会社に就職したんです。でも、実家をいつかは継ぎたいという気持ちはあったので、2002年のワールドカップの決勝戦が終わったら、会社を辞めるということは心の中で決めていました。ただ、1998年に先代と一緒にお店を切り盛りしていた叔父が亡くなってしまい、先代を助けたい一心で急遽、期限を早めてお店を継ごう、と決心をしたんです」
こうして1998年から約8年間は先代である父のもと、藤田氏は本格的な修業に打ち込んだ。その間に勉強したことや、大変だったことは様々だったと言う。
「うなぎはよく、串打ち3年、裂き8年、焼き一生と言われているんです。というのも、うなぎは人間と同じで一匹一匹に個性があって、骨や筋肉のつきかたがバラバラ。でも、調理をしてお客さまの前にだすときには常に同じ状態、つまりは藤田のうなぎの味でなくてはならない。この難しさこそが焼き一生と言われる所以なんです。とにかくうなぎの個性を見抜いて調理して、オンリーワンの味をお客さまにお届けすることを先代から学びましたね」
先代の味を守るために、技術面で学ぶことは多かった藤田氏だが、経営面では違っていたようだ。
補欠でキャプテン……これこそが
自分のいるべきポジション
「先代はワンマンで、給料の計算からアルバイトの管理まですべて自分でやっていたんです。もちろんパソコンも使えませんでしたし……。だから経営面では、見習うことはあまりなかったですね(笑)」
お店で働く者は、うなぎ藤田のチームであると考える藤田氏にとって、すべてをひとりで取りしきってしまう先代の行いは、見習いたい部分ではなかった。なぜなら、自分が倒れてしまったとき、チーム全員に迷惑をかけてしまうから。だからこそ、あえて、自分以外の者にあらゆる仕事をふりわけて、管理している。そんな藤田氏のチームでのポジションはというと……。
「私は、経営者であり料理人でもあるんですが、気持ち的には補欠でキャプテンだと思っているんです。本来、店主は監督なので、フィールド(=厨房)には立たない。でも、私はキャプテンなのでフィールドに立ちます。でも、私の教え子の腕がいいからこそ、彼らが中心となって調理してもらってかまわないんです。でも、彼らの気持ちが分かるためには厨房に立ち続けることが大事だと考えてのポジションです」
いいところも悪いところも先代から学び、代表取締役となった藤田氏だが、本当に大変だったのは、先代が亡くなってから。それは2012年、今から4年前のことである。
「それまでは先代が大きな壁となってくれていた部分があったんです。お客さまも『会長(先代)が言うならしょうがない』と思ってくれていたこともありました。でも、亡くなったあとは自分を守ってくれる壁はないので、責任の重さが全然違いました。先代が生きている間は、先代の手のひらの上で転がされていただけだったのかも知れません(笑)」
そして、先代が亡くなってからは藤田氏の技量が試された。それは、藤田氏にとっての新しい挑戦であり、得意分野でもあった。
「私はもともとアイディアが豊富で……。先代が亡くなってからは、この町に合うメニューや店内の改装の具現化に努めてきました。お子様セットやヘルシーセットを提案したのは自分なんです。昭和39年からつぎ足しているタレとともに、うなぎの味は守りたいので改革はしないけれど、時代にあった改善はするべきだと思ったんです」
こうして藤田氏らしい、二代目のスタイルが誕生した。
藤田氏が考える代表としての心得
01 常にお客さま目線に立つ
02 損得ではなく、善悪で考える
03 かもしれない……と先を読む
先代からのこの味を引き継ぐ人をつくることが、いまの私の夢です
うなぎ藤田の厨房は今、うなぎをさばく人、うなぎを焼く人、その他の料理をする人の3部門に分かれている。これを藤田氏を含めた5人でまわしていくことで、週休2日がキープできている。また、藤田氏の豊富なアイディアを具現化できているのも彼自身がつくりだしたシステムのおかげといっても過言ではない。
では、藤田氏が一緒に働きたいと思えるのはどんな人なのか。
「私の考える3つの心得に同感できる人ですね。あとは、うなぎ屋は毎日同じ作業でも確実にやることが大事なので、地道なことをきちんとできる人が望ましいですね。失敗なんかはいくらでもしてもらってかまわないんです。ただ、今の世の中、うなぎ職人になりたいと希望する若者は激減しているんです。だから、うなぎという文化をメジャーにしていくのも私の仕事のひとつなんじゃないかなぁと思っています。うなぎは日本食を代表する食べ物の中でも保存がきくので、外国の方々にも楽しんでいただきやすいし、スタミナもあってやわらかいので年配の方にも喜ばれる。本当に国籍も年代も問わずに愛される日本食なので、もっともっとうなぎの文化を盛りあげていきたいですね」
最後に、藤田氏にとって経営者と料理人を両立させるうえで大切なこと、そして今後の展望を聞いた。
「まず、料理人としては、自分のつくるうなぎがお客さまにとっての唯一のうなぎであるという意識を忘れずに、妥協なくつくることが一番です。そして、経営者としては1円でもいいから利益をだすこと。このふたつは実は相反することなので、このバランスを保つことが大切だと思います。今後の展望はやはり、事業継承ですね。藤田の味を継いでくれる人をつくっていきたいです」
うなぎ藤田
住 所:東京都日野市多摩平3-7-4
電 話:042-581-2099
時 間:昼/11:30~14:00
夜/16:30~21:00
定休日:木曜日
交 通:JR中央線「豊田駅」より徒歩13分
文:安藤 陽子 写真:yama
2016年05月19日 掲載