独立希望者必見!個人店オーナーからの熱いメッセージ
すし処 宮葉
店主 宮葉 幹男
ちゃんと修業した職人は、違う風を吹かせられます。
宮葉 幹男(Mikio Miyaba)
1940年、江戸時代より鮨屋を営む家の8代目として誕生する。幼少の頃より鮨職人の手ほどきを受け、18才より全国各地の名店で修業を積む。1989年8月、浜松町に「すし処 宮葉」を開業。江戸前鮨の本流を受け継ぐ”最後の鮨職人”の店として、日本中はもとより海外からも多くのお客様が訪れる。
2013年10月掲載
鮨職人はお客様に夢を与える仕事、まずは自分が心身ともにきれいに
「世界中に、こんな即興芸はないでしょう」
鮨職人の仕事を”即興芸”という思いもよらぬ言葉で表現して、宮葉 幹男氏は格別の笑顔を見せた。つけ場に立つ、きりりとした佇まい。鮨を握る所作の美しさに見惚れる。
「汚いやつにはきれいなものはつくれません。心身ともに、まずは自分がきれいになること。私も人に言えた義理じゃあないんですけれどね(笑)。顔の造作はともかく、つくっている人が小ぎれいだな、清潔感があるなと思われるようでなければ。お客様に夢を与えられないような人は、なっちゃいかん仕事なんですよ」
丁重でありながら、独特の軽みのある語り口に引き込まれる。代々、江戸前鮨の本流を受け継いだ8代目は現在72才。ここに至るまでの道のりは、まさに波瀾万丈であった。
「子どもの頃から門前の小僧で覚えてきたので、18才でよそに修業に出たときは生意気だったんですよ。店主の方に『給料は年でくれるの、腕でくれるの』と聞きまして。今、思えばよくあんなこと言えたなと、すごく恥ずかしい。生意気なもんだから、逆に絞られましてね」
修業先では、人一倍厳しく教え込まれた。「こんな仕事しか覚えていないのかと、うちの親父に叱られるので」という背景があってのことだ。
「教わったのは親父の兄弟弟子、すごい連中ばっかです。その人たちの仕事を見て、自分を振り返ると、これじゃあなというのがありました。あれが一人前の姿だと、目標をどうとらえるかだけを考えていました」
修業から戻ってきたのは27才のとき。京橋に店を構えた。ところが、10年持たず閉店を余儀なくされる。
「チヤホヤされて有頂天になって、見事に遊びほうけましてね。ハンパな遊び方じゃない、桁違いな遊びをしました。昔の職人は仕事がうんとできたけれど道楽者。そういうのは身につくのが早いんですよ(笑)」
“職人稼業”から超高級店を任され
パリ出店の大プロジェクトが始動
新聞広告を見て、「見知らぬお鮨屋さん」に宮葉氏は職人として働き始める。「親父の名前が出ないように」と、気遣いをしたからだ。
「やっぱり、あいつだってバレますわな。そこの経営者が『こんな鮨屋にいたら、もったいない。料亭をそっくり買いますので、そこの頭でやってください』と言われました」
店名を変え、超高級店を任されて丸5年。今度はお客様のほうから突然、思いがけない話を持ち込まれる。
「EU8ヶ国が統合する前に、パリにお店を出したいという話でした。たまたま、その1ヶ月くらい前にパリへ遊びに行き、日本食レストランに入って、これは日本の恥だなと思っていたんですよ。じゃあ、ヨーロッパでやってみようかとなりました」
シャンゼリゼの裏通りに215坪を買い付け、「世界一の店をつくろう」と大規模な事業が開始された。
「地中海沿岸の漁村を出刃1本持って、どんな魚がいるのかを調べて回りました。カウンターの材木だけでも6億円分になる機材の段取りをして、さあ、これからというときに湾岸戦争が始まったんです。ヨーロッパの世情が急に悪くなりました。その上、職人のワーキングビザが6名分しか認められなかったり、いろいろな締め付けもありました。これは深入りしても仕方がない。だったら、潔く撤退しちゃえと戻ってきました」
頓挫した大プロジェクトのツケはどれほどのものだったかーー。バブル景気が終焉を迎えようとする頃、予想だにしない帰着点にたどり着く。
「バブルの残り火がまだ燃えている頃ですから、あまりにも素晴らしい機材を持って戻ったので、時を待たずに全部売れたんですよ。だから、行った分だけ儲け、楽しく騒いだ分だけ儲けでしたね(笑)」
そして、当時、パリへ職人を派遣するためにつくった養成所だけが残った。それこそが他ならぬ、現在の「すし処 宮葉」である。
「ちょうどいいことにこの場所は日本橋、大手町、赤坂からも車で15分。昔からのお客様に不公平がなかったんですね。その後はおかげさまで、真面目にやっております(笑)」
宮葉氏が考える店主の心得
01 本当に美味しいものを食べさせる
02 心身ともにきれいにする
03 お客様に良い思い出を与える
良い伝統とは昔を振り返ること 仕事が変わってくるのは当たり前
伝統ある江戸前鮨の仕事をいかに残すかーー。今、思うのはそのことだけと、宮葉氏は未来を憂えている。
「最近の鮨屋さんは皆、江戸前というと酸っぱくて、しょっぱい鮨をつくるんです。それは江戸前じゃない。なぜなら、昔は職人と町人しかいなくて、力仕事で汗が抜けきった体で鮨屋に飛び込んだから、しょっぱい、酸っぱいでないと口に合わなかった。今は、ほとんどの人が頭脳労働者ですよね。それなのに、同じ仕事をして合うわけがない。上っ面だけで勝手に解釈して、江戸前を勘違いしている。時代の裏にある社会の変化を見ていれば、仕事が変わってきて当たり前だわな。良い伝統って、昔をちゃんと振り返ることでしょう」
そういう仕事を継承していくためにも、現在の目標は若い人を育成すること。ところが、思うような人材にはなかなか巡り会えないようだ。
「実にこらえ性がないし、志もない。とりあえず、やってみようかという感じなんです。少なくとも自分からこの仕事を好きでやりたいと思わない人は、やっちゃあいけません」
知らず知らず厳しくなっていく口ぶりからは、宮葉氏の鮨職人としての矜持と熱い心意気が感じられる。のみならず、思い入れたっぷりに、その仕事の魅力も伝えてくれた。
「ちゃんと修業した職人は風を吹かせられます。お客様が入ってきたときに店の雰囲気が違う。違う風を吹かせ、違う景色を見させて、今までにないものを味わわせる。それがお金に変わるんです。高級店とは単に値段が高いことではありません。味も雰囲気もすべてが揃わなければ”高額店”です(笑)。お客様から『こういう世界があるんだな』と言われるたびに、やってきてよかったなと感じます。この喜びを若い人たちにも味わわせてあげたいと思うんですよ」
すし処 宮葉
住 所:東京都港区浜松町2-11-8
電 話:03-3431-3880
定休日:日曜・祝日
時 間:11:30~14:00
17:00~22:00
交 通:JR「浜松町駅」より徒歩2分
地下鉄「大門駅」より徒歩3分
文:西田 知子 写真:ボクダ 茂
2013年10月17日 掲載