独立希望者必見!個人店オーナーからの熱いメッセージ
六本木 すし屋のいけ勘
萩野俊介
お客様から仕事をいただいている。そこが原点だと思っています。
萩野俊介(Syunsuke Ogino)
1959年、静岡県生まれ。寿司職人に憧れ、10代で目白にある寿司店「いけ勘」に就職。13年間にわたり修業を積む。その後、親方の推薦する店で5年、伊豆のリゾートホテルで3年と、寿司を極めていく。1995年に「六本木 すし屋のいけ勘」をオープンさせる。利き酒師の資格をもち、生け花では草月流の師範でもある。
2012年8月掲載
修業時代、はじめての築地で「魚がかわいそう」だと思った
「どんなに辛いことがあっても、8年は家に帰ってくるな」と親に言われ、東京へ旅立ったのがまだ10代のころ。目白の「いけ勘」で働くことになり、親方である池尾 直哉氏のもとを訪ねた。 「親方は父親のような存在で、今もお世話になっています。そりゃ厳しかったですけど、愛情も感じました。だから必死にしがみついてこれたのだと思います」
人として、あるいは社会人としての礼儀や考え方を教わりながら、寿司職人としても鍛えられる。7年目にはカウンターに立ち、寿司を握らせてもらった。 「はじめて築地に連れて行ってもらったときなんか、たくさんの魚が〆られていて『なんだかかわいそう』なんて思いましたからね(笑)。そのぐらいウブな少年だったわけです」
最初に任された仕事が、シャリの仕込みだった。水加減が分からず、何度も失敗し、ダメ出しを繰り返した。 「お米と会話をしなさい、と教わりました。指先で、目と耳で、お米が研がれていくのをしっかりと感じて、『これでいいかい?』と会話しながら研ぐ、そして炊いてあげるんですね。今思えば、親方は食材と会話することの大切さを言っていたんです。魚とも、会話しないといい寿司はできませんから。そういうことを教わりました」
飲食業の素晴らしさを知ったのは、ちょうどそのころのことだった。 「出前へ行ってこい、と言われまして。常連さんのお宅へ寿司を運びましたが、とても緊張していたんですね。玄関で寿司をひっくり返してしまったんです(笑)。『あっ、すいません!』と言ったら、そのお客様がまるで平常心で『うん、いいんだよ』って言ってくれたんです。もちろん親方には正直に話しましたけど、あぁ自分は、お客様に支えられているんだ! お客様から仕事も給料もいただいているんだ! って感動したことを今でもよく思い出すんです」
経営者として成長したきっかけは
親方のひとこと
独立後にも、人からの、ほんのひとことによって救われ、気持ちが楽になった経験がある。
親方から屋号までいただき「六本木 すし屋のいけ勘」をオープンしたのが、1995年。世の中はバブルがはじけ、外食や接待の機会が大幅に減り始めていたころだったのだ。 「オープンしたまではいいものの、店を軌道に乗せることに焦っていました。今思えば、カウンターに立っていても、そういう経営者としての危機感みたいなものが顔に出ていたんでしょうね。そんな状態じゃ、お客様だって楽しくないに決まっています」
オープン3年目にして、このまま店をつづけるかどうか、という経営難にも直面する。「親方に相談しに行ったんですね。そうしたら、こう言ってくれたんです。『ダメなら、いつでも職人に戻ればいいじゃないか?』って。そのひとことで、肩の力が抜けましたね。そうしたら、逆にいろいろと前向きなアイデアがたくさん浮かぶようになってきましてね、数字が追いついてくれるようになってきたんです。お客様からも親方からも、人からの言葉って、勇気づけられるものなんですよね」
ランチに丼ものや創作メニューを加えて、バリエーションを増やした。そして、女性ひとりでも入店できるような安心感のあるサービスを心がけることで、一歩ずつ人気店へと成長してきたのだ。何よりも、店づくりを楽しめるようになったことで、カウンターに立つ荻野氏の表情にも、ゆとりが生まれたことが大きい。 「オープン時からご来店いただいているお客様から、『あの頃は顔に余裕がなかったよ』と言われることもあります。人はよく観察されているんですね」
荻野氏が考える店主の心得
01 全神経を使って店に立つ
02 心身ともに健康を保つ
03 人を大切にし、長くつきあう
自分をさらけ出して、スタッフとコミュニケーション
「私の時代に比べたら、今の人はセンスも才能もあります」と、若い世代を育てることが大切な仕事であると考えている。 「ひとつ仕事を与えて、それができたら次の仕事へと、一歩ずつ成長できるような環境をつくっているんです。約5年かけて、寿司職人をひとり育てていきたいですね。独立者を出すことが、私を育ててくれた親方への感謝になると思っています」
カウンターに立てば、全神経を集中させてお客様と向き合わなければならない。目の前のお客様と楽しくおしゃべりをしながらも、キッチン内の若いスタッフに指示を出し、奥のテーブル席の器の音ひとつで、次に握る寿司のタイミングを察知する。そして指先の感覚でシャリをはかり、寿司を握る。それらを可能にするのは、心身ともにベストなコンディションを保つことにはじまる。
荻野氏は、空手を習っている。そうやって集中力を養い、体力を維持することに役立てる。そしてここ数年は楽器の演奏にもチャレンジしているのだ。
「若いスタッフに言うんですよ。仕事を楽しくするための趣味をもちなさいって。私はね、昔はトランペットをやっていまして、今はフルートを習っているんです(笑)。フルートでいい音をだすためには、指先でうまく穴を押さえる必要がある。フルートをやりだして、指先が器用になってきたんですよ」
そう語る荻野氏は、ひとつの楽器に取り組む純粋な生徒のような表情になる。
「で、若いスタッフに言うんですよ。俺さぁ、今フルートでこんな壁にぶつかっているんだよって。先生に不器用だねって言われてショックなんだよって(笑)。すると皆、笑うんです。そっか、親方も不器用なんだ。それでも寿司で独立できるんだって思ってもらえれば、それでいいんじゃないでしょうか」
荻野氏に影響を受けてマラソンをはじめたスタッフが、東京マラソンを完走したそうだ。
目を輝かせてフルートを習う親方のチャレンジする姿を見ながら、次の世代を担う寿司職人がすくすくと育っている。
六本木 すし屋のいけ勘
住 所:東京都港区六本木6-15-19 六本木アームス2F
電 話:03-3401-0319
定休日:日・祝
時 間:月~金 18:00~23:00
土・祝 17:00~22:00
交 通:地下鉄各線六本木駅徒歩5分
文:高木正人 写真:yama
2012年08月09日 掲載