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独立希望者必見!個人店オーナーからの熱いメッセージ

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不動前 すし 岩澤

店主 岩澤 資之

あきらめなければ
夢は続いていく

岩澤 資之(Motoyuki Iwasawa)

1975年、神奈川県生まれ。大学卒業後、IT系企業に就職し、システムエンジニアとして1年半勤務。25才のとき、学生時代にアルバイトしていたすし店の楽しさが忘れられず、すし職人の道へ。六本木「蔵六鮨」、赤坂見附「すし匠 齋藤」で15年間修業を積む。2016年3月に「不動前 すし 岩澤」を構え、独立する。


親方から教わった<心・技・空>
一流の系譜を受け継ぐ

 鮨の名店「四谷 すし匠」を総本山とするすし匠グループからは数多くの優秀な弟子たちが巣立ち、新たな名店を生み出し続けている。その一流の系譜を受け継いだ岩澤氏は5年前、「不動前 すし 岩澤」を独立開業。新鋭として注目を集め、一躍人気店へと成長を遂げてきた。

「すし屋は美味しいだけでは駄目。親方から<心・技・空>と教えていただいたのですが、心と技術、そして心地よい空気をつくり出さなければなりません。吟味した良い食材を使っているので、美味しいのは当たり前。心を込めて丁寧に、心地よく食事を楽しんでいただけるよう心がけています」

 不動前という土地柄、接待などの利用は少なく、客層の大半は純粋にすしを味わおうという人たち。数多の舌の肥えた食通をも唸らせ、開業から3年目にはミシュラン1つ星を獲得した。

「お客様に『また来るよ』と言っていただけるのが一番の喜びです。『美味しかったので連れてきました』と、両親や恋人と一緒にいらしていただけることも多いんですよ。心から気に入ってもらえなければ、自分の大事な人を連れていきたいと思いませんよね。本当にありがたいですし、人にダイレクトに喜んでもらえる素晴らしい仕事だなと感じています」

 岩澤氏の話ぶりからは、すしに懸ける静かな情熱が伝わってくる。この道をひたむきに突き進んできた自負のようなものかと思いきや、「行き当たりばったりです(笑)」とのこと。実は、異色の経歴の持ち主でもあった。

25才でSEからの転身
仕事ができずに解雇の憂き目も

 IT系企業でシステムエンジニアとして働いていた岩澤氏が、学生時代のすし店でのアルバイトの楽しさが忘れられず、転職を決意したのは25才。すし職人としてはかなり遅いスタートになる。求人誌を見て片っぱしから電話しても、年令でアウトということが続いた。

「1店だけ面接を受けられたのですが、結局、年令で断られました。ただ、『きみは感じがいいから』と、他の店を紹介してもらえたのです。それが一番目の修業先になった六本木の『蔵六鮨』です。親方に『何人兄弟?』と聞かれて、『4人です』と答えると、『1人くらい駄目になってもいいか』と言われ(笑)、面倒を見てもらえることになりました。きっと、すぐに辞めると思われていたのでしょうね」

 結果的には7年間勤め、経験を積むことになった。スーツを着込んで面接に現れた、いかにも頭の固そうな新入りは先輩から敬遠され、ときには意地悪な仕打ちを受けることも。それでも、「すしをやりたい」という一途な想いで耐え忍んできた。ところが、思いもかけない形で修業は打ち切られる。

「あまりにも仕事ができなさすぎて、クビになってしまったのです。『お前には高級なすし屋は無理だ』と言われました。辞めるかどうかは自分が決めること、あきらめてたまるかと思いました。自分の目標をしっかりと持って、あきらめなければ夢は続いていくものです」

 厳しい現実を突きつけられても、岩澤氏はへこたれなかった。その挑み続ける姿勢があればこそ、不思議な巡り合わせがあり、新たな道が開かれた。

「当時、『すし匠 齋藤』で齋藤親方の右腕のような存在だった照也さん(「一番町てる也」飯田照也氏)が六本木時代のお店に入店されていました。海外でしか経験がなかったので、日本の鮨屋スタイルに適応するためです。そこで、先輩方にしごかれながらも居残って魚をさばく練習をしたり、身を粉にして働いたりする姿を見ていてくれたのでしょう。『自分もそろそろ独立を考えているから、後釜に来ないか』と拾っていただいたのです」

 新しい職場はすべてがこれまでとは真逆だった。180度異なる環境の中で、地道に積み重ねてきたものが徐々に芽吹いていく。

「失敗したら叱られると尻込みしていたのが、懐の深い親方のもとでのびのびと仕事をさせていただきました。失敗を恐れなくなり、仕事を任せられることで、少しずつ自信もついてきました」

 3年が経つ頃には、二番手を任されるまでに。学生時代に習得した中国語と英語のスキルも、インバウンド対応に活かされた。

「『岩澤の前で』という指名が入るようになったのが、何より嬉しかったです。親方の真似をして精一杯の接客をしていると、お客様がついてきてくださり、これは独立しても大丈夫かなと考えるようになりました」

 自分の力を信じ、才能を開花させた岩澤氏は5年後、独立を果たす。2016年3月、不動前に「すし 岩澤」を構えた。

壁は突然、乗り越えられる
その地点に到達するまで継続しよう

 15年間に及ぶ2店での修業時代を振り返り、「順番が逆だったら駄目になっていたでしょう」と、岩澤氏は語る。

「先に基本をみっちりと仕込まれたので、魚をさばくと『なんでクビになったの?』と驚かれました。六本木ではなかなか魚を触らせてもらえなかったので、その感覚に飢えていて、さばかせてもらえるのが嬉しくてね。ただ、技術の進歩は右肩上がりに一直線とはいきません。あるとき、突然に壁を超えられる。その地点に到達するまでは大変だけれど、あきらめずに継続していけば必ずできるようになります。がんばって身につけた技術は一生もの。年令も関係ありません。あきらめなければ、何才からでもスタートできます。周りから何を言われても、自分のやりたいことを貫くことです」

 異業種から転職し、努力の末、遅れを取り戻して、ついには克服した自身の体験を踏まえた言葉は説得力がある。これから、すし業界を目指す人たちの心に響くメッセージとして受けとめられるにちがいない。

岩澤氏が考える店主としての心得

岩澤氏が考える店主としての心得

01 美味しいものしか出さない

02 すべてのお客様を満足させる

03 楽しく働ける環境をつくる

現在、親方修業中
一番の目標は曾孫弟子を育てあげること

「この花の数を見てください」

 岩澤氏は、オープン時の写真を誇らしげに見せてくれた。店の外にまで、先輩方から贈られたお祝いの花があふれ出している。すし匠グループの結束の強さを物語るかのようだ。

「みなさん本当に仲間思いで、よくしていただいています。親方たちもいらして、『ここはこう改善した方がいいよ』とアドバイスしてくださいました。先輩方から受けた恩を、今度は後輩に返していきたい。独立前は板前の修業でしたが、今は親方修業が始まっています」

 目下の課題は人材育成。すし文化を受け継ぐ弟子を育て上げるのは並大抵のことではないと、実感している。

「人を育てるのは難しいですね。お互いの考えが一致しなかったり、想いが伝わらなかったり。自分が厳しく教え込まれたのと同じようにすれば辞めてしまうのはわかっているのですが、なかなか抜けきれません。独立したとき荒波に立ち向かえる人材に育ってほしいという気持ちがあればこそ、なんですけれどね。1人ひとり育った環境も性格も違うので、相手の立場になって指導していきたいと思います。朝の仕込みに始まり拘束時間も長くなりがちなので、働き方のスタイルも選べるように変えました。すし職人として持続可能な労働環境を整えていきたいと考えています。四谷の総本山から、私は孫弟子にあたるのですが、曽孫弟子をつくるのが今の一番の目標です」

 いつかまた、そう遠くない未来に、ここから次世代を担う人材が羽ばたいていくことだろう。岩澤氏の夢はまだまだ続いていく。

不動前 すし 岩澤

住 所:東京都品川区西五反田5-6-11
NSVビル1F

電 話:03-5436-8338

時 間:17:30~23:00
※新型コロナウイルス感染拡大により、営業時間が異なる場合有

定休日:水曜日

交 通:東急目黒線「不動前駅」より徒歩6分
各線「五反田駅」より徒歩9分

文:西田 知子 写真:ボクダ 茂

2021年04月01日 掲載

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